15世紀の大航海時代に大きな影響を与えた、マルコ・ポーロの『東方見聞録』。
その中で紹介された黄金の国「ジパング」は羨望の眼差しを向けられ、想像で地図に描かれ始めた。16世紀に西洋人が初めて日本を訪れて以来、キリスト教の布教や南蛮貿易を通じて、徐々に実在の国として「ジパング」が地図に描かれ始める。そして一人の地図製作者により「日本図」の精度は頂点を迎える。
17世紀~19世紀の「鎖国」体制下の日本では、江戸幕府による国策事業として、「正しさ」を求める地図製作が行われ、民間では「美しさ」や「使いやすさ」を追求した地図が作られていった。一方キリスト教の禁教・迫害により、日本の情報源を失ったヨーロッパの日本図は徐々に「正しさ」が失われることとなった。
その頃ヨーロッパの国々では、貿易拡大を狙い新たな土地を探すための航海が続けられていた。そのような中で、未知のオーストラリア大陸が判明し、最後の空白域として残されたのが、「日本の北方領域」であった。
本章では、西洋社会において想像で描かれた「ジパング」が交流の中で正確に描かれ始め、「鎖国」によって再び遠い存在となっていく過程と、世界地図最後の空白域「日本の北方領域」が解明されていく様子を、その歴史を映し出す「地図」とともに紹介する。

「ジパング」の誕生 作品一覧

「世界標準」となったモレイラの日本図

「鎖国」体制下の日本とケンペル

描かれる「世界」と最後の「空白域」