江戸時代後期、「鎖国」体制下において、伊能忠敬による全国測量が行われた。伊能忠敬は17年の歳月をかけて測量を行い、日本で初めて実測に基づく正確な日本全図を完成させた。幕府は、軍事的観点から海外への流出を防ぐため「伊能図」を「秘図」として扱った。
文政6年(1823年)にシーボルトはオランダ商館付の医師として来日し、西洋文化を日本に伝えるだけでなく、熱心に日本について研究し資料を収集していた。彼は帰国時に「秘図」であった「伊能図」の持ち出しが発覚し、国外追放を命じられるが、ひそかに地図の写しを持ち出すことに成功していた。また、その資料を基に『日本』を刊行し、西洋に日本の全容が広まるきっかけとなった。
アメリカ東インド艦隊司令長官のペリー提督は『日本』に収録された「伊能図」をはじめとする資料を参照して日本への航海に臨み、1853年に浦賀に来航、翌年に日本の開国を果たした。「鎖国」体制が崩れた幕府の後を受けて新たに誕生した明治政府は、欧米諸国にならい「近代化」を進めていった。近代に入ると、地図の利用範囲は、海防の強化・国土の把握・国民の地理的知識の向上へと広がっていくことになる。実測に基づいた「伊能図」は明治時代に入ってもなお活用され、日本の「近代化」に重要な役割を果たすことになった。
本章では、「伊能図」ができるまでの過程と、「伊能図」が海外に流出したことで開国につながり、日本の「近代化」に向かっていく過程を、その歴史を映し出す「地図」とともに紹介する。

日本を揺るがした伊能図 -シーボルト事件とその影響- 作品一覧

伊能図と日本の夜明け