ゼンリン陸上競技部 創部30周年を記念して、OB・現役選手のスペシャル対談をおこないました。
第1弾は、畑山茂雄さん(1999年入部)と知念豪さん(2014年入部)のお二人の対談です。同じ円盤投げで師弟関係にあった二人に、当時の思い出を振り返っていただきました。現役時代のエピソードだけでなく、畑山さんには引退してから現在に至るまでの思いを、先日引退を発表したばかりの知念さんには自身が目指す「これからのゼンリン陸上競技部」についての思いを語っていただいています。

引退を決めたきっかけ

知念:

僕の場合は、ゼンリン陸上競技部をやめたい、とかではなかったですけど、そこに値しない人間かもな、とは入部1年目で感じました。だからしょっちゅう周りのことばかり気にしちゃって。1年目で自己新記録を出したんですけど、日本選手権で大負けして。それが今までで一番きつかったですかね。ものすごくへこんでましたよ。たぶん畑山さんも見たことないぐらい(笑)。初めて陸上でへこんで・・・。
なんかイメージがあるじゃないですか、ゼンリン陸上競技部の。「絶対強くないといけない」と思っていたので。結局1年目で「あーもうやめたほうがいいのかもな」と本気で考えて、「(母校に)戻ってまだ大学院も行けるかもしれないし・・・」みたいな。
で、シーズンが終わった時に、やり残したくはなかったので、書き出してみたんですよ、何がしたいのかって。そしたら海外に行きたいってなって。畑山さんからも「ドイツか中国行っちゃえよ」って言われてたのもあって。畑山さん自身もそういう経験があったから、「行ってみたら一回ひらめくかもよ」って。それでドイツに行かせてもらって、そしたら一気にバンッて(記録が)跳ねて。そこから競技に対する軸みたいなのが出来ましたね。
例えば、円盤を投げることに対してそれまでAプランしかなかったものを、B~Dくらいまで用意しておいて、このアプローチだったらこの投げ方でいけるな、みたいな。そういう基本的なところをドイツに行って学びました。
今回、引退すると決めたのは、もともと「2020年」ってある程度決めていたので。そこで活躍していたらもう一回考え直してもいいんじゃないかって、そういう風に決めていました。

――畑山さんが引退を決めたきっかけは何だったのでしょう?
畑山:

私は生涯現役でいきたいという思いはありましたけど、ちょっとアキレス腱が痛くなってしまって。両足の。でも実際のところ大きくは「やめる」とは言ってないんですけどね。周りが「やめた」って思っているだけで・・・。

全員:

そうなんですか!?

知念:

けど、確かに(引退の)発表してないですよね。畑山さんて。

――じゃあまだ畑山さんご自身は、現役選手・・・?
畑山:

まぁ、さすがに今はその気持ちは無いですけど(笑)。当時は、自分の中で「やめる」ってことが嫌で、なんかこう・・・「一線を退く」っていうんですかね。

知念:

日本選手権は目指さないスタンスだよっていうことですか?

畑山:

まぁ、あわよくば出ても良いかな、的な。

――今もその気持ちはありますか?
畑山:

今はもうちょっと無いかな(笑)。というのも、大学で学生を指導するようになって、「一緒にやっちゃダメなんだな」って思ったんですよ。
学生からしてみたら、(レベルが)上の人たちの投げを見て「すごいな」とは思うんですけど、何がすごいのか理解できないんですよ。(そのレベルに達するまでの)過程があって、記録を出すわけじゃないですか。学生はまだその過程の途中なので、私の投げをそのまま真似してもできないんですよ。見た感じのまま自分の投げをやろうとしても上手くいかないんです。
それで私の中では「見せないほうがいいんだな」となって、投げなくなっちゃいました。代わりに、言葉を投げかける。学生たちの思いとリンクするような言葉の投げかけ方っていうものをやっていくようにしました。

――知念さんはもう投げないの?
知念:

うーん・・・、投げられるとは思うんですけど・・・、前には。でも遠くに投げる気持ちはもうゼロですね。でもよくあるじゃないですか、一回気持ちが冷めて、何年後かにバンッて再熱するみたいな。またそういう気持ちが芽生えてくるのかなー?わかんないですね、全然。今はもう、これからの陸上競技部のことしか考えてないです。

全員:

(笑)

――畑山さんからみて、知念さんにゼンリン陸上競技部の監督が務まると思いますか?
畑山:

いけると思います。監督は明るさが大事だと思いますので。コミュニケーション能力が高いので、コミュニケーションをとって人と関わっていけばいいと思います。

知念:

不安です(笑)

写真:第67回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会(2019年9月、フォート・キシモト撮影)

今現在の目標

――引退後は大学の先生として学生たちを指導する道を選ばれた畑山さんですが、今現在の目標は何ですか?
畑山:

そうですね・・・現状だと、今それ無いですね。それが見つかってないので、ちょっと中途半端なところがあるかもしれないんですけども・・・。
学生が1年生で入ってきて4年で卒業しますけれども、学生たちをこれくらい投げさせたいっていう目標はあるんですよ。でもその中で自分自身がこうしたいっていう目標は無いですね。まだそこまで頭が回ってないかもしれないです。
指導って本当に難しくて、今までは自分のことを考えていればよかったんですけど、相手のことを考えるとなると、行き詰まってしまうんで。なのでまだ目標が立てられていないです。練習方法もまだ手探りの状況です。
初年度は、「今までやってきたことを学生にやらせれば結果も出るだろう」って思っていたんですけれども、まったく出なかった。一から、本当に基礎的なところから、自分がやってきた以外のところをさせるっていうんですかね。技術云々じゃなくて、気持ちの面での持っていき方から、というか。学生一人一人を、ひとつの練習メニューに対してどう向き合わせるか。
「陸上強くなりたい」っていう思いはあるんですけど、どうやって強くなっていくのかがわからないので、そこからまず「これを練習するとこういう効果が得られて、こういう風にやっていくんだよ」っていうところからやっていかないと。
そういう意味では、自分自身が練習方法を確立させるっていうのが目標かもしれません。

知念:

目標か・・・難しいな・・・。

畑山:

目標立てるのは難しいですね。

――現役時代は、数字とか記録とか分かりやすい目標がありますもんね。
知念:

確かにそうですね、今考えたら。日々の練習でも、投げてコンディションを把握して、コーン立ててこれを何本越えたらOKみたいなのが毎日あったんですけど。そういうのが見えにくくなったので、何かをしないと、ってなりましたね。

――知念さんは引退してまだ日が浅いですけど、今後の目標はありますか?
知念:

目標・・・、幸せになることですかね、大目標は。これからは人のために生きたいっていう気持ちはどこかにありますね。今までは結局、自分のためにやりたいと思っていたので。「飛ばしたいからやる」みたいな感じだったんですけど。競技をやめるってことを考えたときに、これからどうやって生きたいのかなって考えて。引退後も陸上に携われると良いなと思って。そしたら縁があってゼンリン陸上競技部に携わらせていただけるっていうことで。なので選手はもちろんなんですけど、会社のために頑張りたいっていうのが今の目標ですね。人のために生きてみようって思いました。

――畑山さんから見て、そんな知念さんに何か伝えたいことはありますか?
畑山:

確かに競技者としては、投げたい走りたい跳びたいっていうのがあるんですけど、今こう、一線を終えたときに「人のために」って気がつかれたっていうのは、このゼンリン陸上競技部での7年間を通して、すごく良いことに気づけた、そういう場所がゼンリンにはあるのかな、って。なので、今の思いをとにかくストレートにやるしかないと思うので、どうにかなるっていう思いはありますね。本当に「人のために」っていう思いがあるのであれば、仮にその方向性が間違っていたとしても、どんどん失敗して、また突き進んで・・・と。

写真:チーム合宿(2016年6月撮影)

これからのゼンリン陸上競技部について

――ゼンリン陸上競技部は、陸上界ではどういう存在、どういうイメージを持たれていますか?
畑山:

(創部当時の)日建からゼンリンに移った頃は、「メイン種目よりは目立たない種目をどんどんやっていけばいいじゃないか、目立つ種目は大企業がやるんだから」という話を聞いたことがあります。あとはゼンリン陸上競技部といえば「強い」イメージがあるんじゃないですか。なので「トップじゃないと入れないよ」と言われてきました。日本でトップの企業なのでそこにリンクできる選手じゃなきゃダメだよと言われていた気がします。

知念:

僕も「入りたい」と思っていたのですが、それ以前に「入れない」というイメージでした。その当時は部員が畑山さん一人だったのもあって、大学の先生方に「希望はゼンリンに出しました」と言っても「無理でしょ」と言われた。入りたいけど絶対無理だよねという感じでした。たぶん、今も外から見られているイメージはあんまり変わっていないんじゃないかなと思います。結果に厳しいチームみたいな印象。

畑山:

それは当時もあったかもしれない。とにかくトップであり続けなきゃいけないという思いでやっていた感じはします。

――今後のゼンリン陸上競技部に期待することはありますか?
畑山:

そうですね、結果的なものを見ると十分すぎるかなって。当時の私のレベルから考えると。日本記録保持者が二人いて、オリンピック参加標準も記録的には切っているといった中で・・・皆さんが考えるのはメダルですよね。そういう一般的な考えよりも、結果だけを求めるのではなく、とにかく自分が目標に対して何をすればこうなっていくというようなプロセスみたいなものを皆さんに言えれば一番です。それに結果が付いてくれば良いと思うので。メダルを取るためにやっているのであれば、本人たちが一番辛いと思うので。
とにかくこのメダルを取るまでの自分の過程というものを一番大事にしてやっていただけたらなと。別にメダルが取れなくても、それまでの過程っていうのが大事なので、そこが一番。自分を信じてやっていただけたらなと。

知念:

みんな強く、みんなハッピーであれば僕はそれでいいと思います。陸上競技部の活動を通じて、社内外の人達みんなが幸せになれたら、それが一番すごい価値を生んでいるんじゃないかなと思います。

畑山:

社員の皆さんは、陸上競技部の今の活躍、最近だと高山くんがアジア大会でメダルを取ったり、世界陸上に出場したり、どういう反響だったんですか?

――アジア大会の時は東京本社の有志でライブビューイングをして。メダルを獲った時は盛り上がりましたね。世界陸上の時も、社内で壮行会をやって、集まってくれた社員の皆で送り出しました。ただ、全国に営業所がたくさんある中で、そういうコミュニケーションが取れるのは東京本社や北九州本社の一部に限られていたりするので、もっと会社の皆さんにとって、身近に感じられるような存在、応援したい!と思ってもらえる存在になれたらいいなと。そのためには、結果だけでなく、さきほど畑山さんから話があったようにプロセスを伝えていくのが大事だと思っていて。そのあたりの役割を、知念さんには期待しています。
知念:

社員とアスリートの間に立って、翻訳者になるみたいな。たぶんアスリートって、「絶対わからない」と思っているから話さないと思うんですよ。感情や感覚の部分なんで。でも応援してくれる側が欲しいのって、例えば「試合前は吐き気がするくらい緊張するんですよ」とか、そういうアスリートの人間的な部分をもっと聞きたいんですよね、きっと。そういうのを伝えていく役になろうかと。

畑山:

現役時代、いろいろ営業所に行ったりして社員の方からの質問コーナーとかがあった時も、基本的に普通のことしか聞かれないんですよ。ごはん何食べていますか?とか。試合は緊張しますか?とか。その緊張感っていうのが・・・選手目線の緊張感っていうのが、表現しづらいんですよね。ドキドキするとか、手が震えるとかそういったことしかないので。それを客観的に表現して伝えられるっていう立場の人は必要だなっていうのはありますね。

知念:

出来るかわからないですけど・・・

全員:

(笑)

知念:

まずはやってみて、それから考える、ですよね。考えてからやるじゃなくて。どんどん失敗しながら、より良い、より強いゼンリン陸上競技部にしていきます・・・!

写真:第100回日本陸上競技選手権大会(2016年6月、フォート・キシモト撮影)

<プロフィール>

畑山 茂雄

1999年入部。種目は円盤投。2007年に当時日本歴代2位となる60m10を記録、28年ぶりに60m越えの記録をマーク。2007年世界陸上(大阪)出場、日本選手権優勝10回(うち、1999年~2005年7連覇)、全日本実業団13連覇(2000年~2012年)など、長年にわたり円盤投のトップを牽引してきた。2016年に引退し、現在は日本体育大学で陸上競技部投擲コーチとして学生の指導にあたる。

知念 豪

2014年入部。種目は円盤投(ハンマー投も少々)。2016年の日本選手権では円盤投58m36で2位、日本歴代6位の記録を残す。2020年11月に引退を発表、現在はゼンリン陸上競技部の監督見習いとして奮闘中。

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