ゼンリン陸上競技部 創部30周年を記念して、OB・現役選手のスペシャル対談をおこないました。
第3弾は、現在も当社で働く4名のOB、野沢具隆さん(1990年入部)、松井仁さん(1991年入部)、安西啓さん(1994年入部)、窪田慎さん(1995年入部)で座談会をおこないました。
活動時期も種目もバラバラの皆さん、実は全員でこうして話をするのは初めてということでした。現役当時の思い出から、引退して働き始めた頃のエピソードなどを中心に、語っていただきました。

引退して働き始めた頃のこと

――1週間でも一緒に新入社員研修を受けていたら、同期の繋がりはできますよね。引退後、その繋がりが役に立ったといったことはありましたか?
窪田:

私は相当ありますね。
私は幸いにも自分から引退を切り出すことができて。野沢さんは覚えてないかもしれないですけど、最初に引退しようとしたら「まだ早い」と言って野沢さんや米倉さんから怒られて。もう一回言ったら、「しょうがねぇなぁ」ていう感じで引退することを認めてもらえたんですけど。引退する時は恐怖しかなくて。圧倒的な恐怖。俺、大丈夫かな?パソコンもあんまり分からないし、漢字も読めないし・・・。そんなレベルからの仕事だったので、相当怖かったですけど。
そんな時に助けられたのは同期ですよね。同期から仕事の仕方を教えてもらったり。「『ソリューション』って何ですか?」みたいなところから。「ひらがなでしゃべってくださいよ、カタカナ禁止!」とか言っていたのを今でも思い出します。同期は大袈裟に言うと宝ですよね。

松井:

最初はどこの部署に配属されたの?

窪田:

配属先を決める時、「私は足が速いんです、日本で歴代3位です。なので2,500人の社員にも負けません。一番難しいところにお願いします」と言ったんです。本当に。それで最初は、安西さんや米倉さんがいたGISの部門に内示が出たんですけど、欠員とかもあって結局、今いるITSの部門に行くことになって。それで行ってみたら、本当に難しいじゃないかと。最初は全然わからなかったんですけど、そちら側で頑張ることになって・・・というところです。

安西:

私の場合も、私より先輩で引退後も会社に残られてるのが松井さんだけっていう状況で。自分がやめる時にすごく迷って。さっき窪田くんが「恐怖」という言葉を使っていたけど、ものすごく不安でした。やっていけるのかって。ろくにバイトもせずに陸上だけをずっとやってきたような生活だったので。
自信のある陸上に関係する仕事に移っていくのか、会社に残るのか、どうするか考えました。それで、社会人としていつまでも陸上でやっていられる訳でもないしな、と考えた時に、周りが自分を知ってくれている環境の方がやりやすいだろうと思って。残るのを最終的に決めたような気がしますね。

松井:

恐怖はあるね。俺なんか陸上部から引退して初めて仕事に移る一番最初の人間だったからね。もう恐怖しかないよね、やっぱり。もともと営業なんか全くやるつもりもなかったし。それが当時、まだ住宅地図しか売るものがなくて、いきなりその世界に放り込まれるわけで。今みたいに手取り足取り教えてくれるわけじゃないしね。
最初はやめるつもりだったんだよ。関東の営業所に配属予定になっていたらしくて。でも、俺はもう一度、復活してやるって思いがあったから、練習環境を変えたくなかった。それで、東京勤務をお願いしたら、当時の部長さんがその場で立川営業所に電話してくれて、「来月から松井が行くからよろしくね」と言ってくれて。それで残った。今でもあの時の感謝の気持ちは忘れていません。
でも、当時の営業所はきつかったし、仕事後に練習終わって自宅に帰るのはいつも24時を過ぎていたので、心身ともにヘトヘトだったな・・・。

野沢:

私はみんなと違って、結構、現役生活を引っ張ってしまったんですよね。やめたのが34歳だったかな。だから20代で仕事に移るのと、30代半ばになって・・・というのはまた違って。恐怖感はありますし。
「紙地図やります、営業所行きます」ということで希望を出させていただきまして、大変いろいろ苦労させていただきました。

――陸上をやっていた経験が仕事で活きたなと思うことはありましたか?
窪田:

負けず嫌いだけじゃないですかね。負けたくないのと、人の上に立ちたいのと。
でも、人の真似事をするという点では近いところはあるかもしれないですね。例えば私だったら、当時、世界記録を持っていたのはモーリス・グリーンで、身長は私と同じなんですね。体格は全然違うんですけど。だから動き方を真似してたし、常にモーリス・グリーンを見ていたんです。
仕事も同じで。課長がつくった稟議を見て、課長と同じような構成と言葉遣いを真似して書けば一発で稟議が通るし、議事録の書き方も上手い人の書き方を真似するようにしていたし。真似事をしていくことで仕事が早く上達していった。それはスポーツの世界に限らず、何でも通用するんじゃないかって思いましたね。
モーリス・グリーンと私の体の違いを調べた時に、これとこれが足らないという、簡単に言うと現状とのギャップ、ギャップを補うための施策、そんな感じを陸上してた頃からやっていたので、仕事もそれと同じだなというのはすごくスッと入ってきたかな。

――説得力ありますね。他の皆さんはどうですか?
安西:

私の感覚で言うと、陸上はそれなりにやってきたという自信もあって、自分なりの考えや柱になるようなものを持てるぐらいまでやってきたつもりでいて。それが全く違うところに行った時に、ゼロからのスタートになる。
違うところでやっていくという腹を決めた以上、こっち(陸上で培った自信)に頼りすぎていると、逃げになってしまう。でも自分の中にそういうものを持てているというのが、苦しい時に自分の中で最後に頼れるところにもなってて。
仕事が分からなくて、営業先でお客さんとまともに話ができない時に、苦し紛れに「ちょっと前まで陸上をやってて・・・」と言い訳として話してしまった時があって。自分の中の大事なものだったはずなのに、それをできないことの言い訳にしているみたいで心苦しかったですね。その頃はほんとにきつかったけど。そういうのがあったから、今、頑張れてるのかなという気はしてます。

――松井さんはいかがですか?
松井:

ベースはやっぱり、陸上の「頑張る」っていうあれなんだけど、ただ陸上の思想のままやると、全然違う世界なので。
僕が仕事始めてからよく言われたのは、「お前の考えと真逆の考えの本を読め」と。同じ考えの本ばっかり読んでたら、「やっぱり俺の考えは間違いじゃなかった、俺の考えは正しかった」となるから、違うところの本を読んで、その考えを取り入れろと。
やっぱり陸上というものに固執していて、「俺はこんだけ実績があったのに」という考えになるじゃないですか。だからそこを叩かれて。まあ冷静に考えたら、「なるほどな、こういう見方もあるよな」と。「なるほど」という風になるものは、取り入れなきゃいけないな、と。そこは50歳過ぎても今だにそう思う。

現在の陸上との関わり方

――皆さん、引退後の陸上との関わりはどうですか?今も陸上関係の情報はチェックされていますか?
松井:

全然していないね。うちの選手が出た時にOBだから見る、というくらいで。

野沢:

情報はまったく取りにいかないね。もう過去を全然引きずっていないので、陸上をやっていた自分は、今の自分の中には特にないんですよ。昔の思い出の1ページとして残っているだけで。
今、誰がチャンピオンで誰が日本記録を持っているかというのは、正直知らない状態。知念くん(2014年入部、円盤投)に関しては、「頑張れよ」と思って見ていたけど。畑山の記録もずっと見ていたし。で、その流れで知念くんがどこまでいくかな?というのは見ていました。まあ、その流れですもんね。自分がいての、畑山がいての、知念くんがいて、と。
なんだろうな、陸上って良い思い出だけじゃなくて、今、思い出しても悔しい思い出の方がいっぱいあって。あの時こうしておけばもっとこうだったのに・・・とかね。後悔すること・・・けっこう今でも夢に出てくるんです。夢の中で試合に出ているんですよ。もがいてるんですよ、投げれなくて。ない?そんなようなこと。

松井:

でも野沢さんたちは自分でやめたからいいじゃん、最終的には。俺なんかは、やりたかったけど会社から切られたから。
だから陸上部をやめて最初の2年くらいは、仕事をやりながら、仕事終わってから練習行って、って自分でやってた。それで2年後にもう一回、全日本実業団は出ているんだよね。出たんだけど、その後は仕事がますます忙しくなってきたからこっちに特化して。
最後にもう一回だけ試合に出ようっていうので、21世紀の最初にローカル大会に出て、とりあえず優勝したからもうやめようと。それからは20年くらい投げていない。槍も触っていない。

――松井さんご自身の中での引退試合は、最後のローカル試合なんですね。
松井:

そう、そこで終わり。だからその後は投げたいとも思わない。腱板も切れまくってるから痛くてしょうがないし。

野沢:

陸上って、やってる最中は夢中で「これしかない」と思ってやってるけど。いつまでもやれないんですよね、悲しい話だけど。
今までそれしかやってなかったことを捨てる時って、やっぱり色々あるわけですよ。

安西:

やめてしばらくは競技場行けなかったですもんね。試合を観に行けなかった。
観てると悔しさがこみ上げてきたり、「引退した人間」として知ってる人に見られるのも嫌だったり。だからずっと行かない時期があって。
それが落ち着いて、今ではゼンリンの後輩と大学の試合くらいしか観に行かないですけど・・・。

松井:

OB会長に認定されたんじゃなかったっけ?今でも試合とかよく観に行ってるし。

安西:

だんだん距離が広がってきて、大阪くらいまでなら観に行くようになったんですよ。
OBとして、じゃないけど・・・陸上って、知らない人からすると何を見ていいかわからないじゃないですか。だから応援に来てくださった社員の方に、いろいろと解説とかする立場であれたらいいかな、と思って。よくよく考えてみると、自分たちがやっていた頃にも、現地の営業所の方が応援に来てくださったりとかしていましたしね。
あとは、現役でやってる時って、移動して試合して帰ってくるだけで、現地での美味しいものとか全く知らずに行き来してただけだったので。今は、車で気になるところに立ち寄ったりしながら、行って帰って来る、というかんじでけっこう楽しくてやっています。

窪田:

自分は会場が近い時は応援に行ったりはしていましたね。熊谷とか。ゼンリン陸上競技部のことは、ある程度はニュースとか記事で見ちゃうんですよね。
ただ、私は完全にやり切って燃え尽きたので、二度と走りたくないっていうのはありました。グラウンドに行くのは全然問題ないし、何のあれもないんですけど、二度と走りたくないと思って引退したので、陸上に対する愛情はもうないんですよね。
応援とかはするけど、自分が走りたいとかは1ミクロンもない。完全にやり切ったから。今も走らないし。
筋トレはね、あまりにも体がだらしなくなるのは嫌なので、ずっと腹筋と大胸筋だけは保つようにやってるけど。それぐらいですね。

安西:

最近は違う意味での楽しさが。高山のコーチの金子さん(1992年入部、110mH)は、それこそ同い年で一緒にゼンリンでやってたし、城山のコーチも大学の直の後輩なんですよ。そういった昔からよく知っている彼らが育てた選手が今、ゼンリンで活躍している。昔から知っている人たちと、競技の話ができるという楽しさも、最近はありますね。

ゼンリン陸上競技部への思い

――最後に、今後のゼンリン陸上競技部に対する思いや期待など、お一人ずつ聞かせてください。
窪田:

私個人の思いとしては、人を増やして実業団で優勝というよりも、一人でもいいから、世界大会に出て、スターになってもらって、ゼンリンに陸上部があるというのを世に広げてほしい。
今、日本記録保持者が二人いるけど、こんな感じでどんどん強い選手を育てて、種目には拘らないんだけど、強くなっていってほしいなという思いはあるかな。

松井:

僕もそこは一緒なんですよ。創部当時、野沢さんたちが来た時も、あえて一般種目を採ってるじゃないですか。当時一般種目って、今もそうですけど、広告にはならないんですよね。それでもあの時はね、当時の社長の大迫忍さんが、「こういう日本のトップ選手に活躍の場を与えてやらないと。無駄にするともったいない。」と。だからそこで15人をあえてゼンリンが引き継いだわけじゃないですか。そういうのはすごいなと思うんですよ。
日本の中で、そういう世界で戦える選手がいるんだったら、ゼンリンもそういう選手に活躍の場を与えてやってほしいですよね。選手の立場からすると、活躍の場を与えてもらえるって、すごく有難いことなので。

野沢:

確かに宣伝効果ってないんですよね、一般種目には。そこをあえて、創っていただいたこの会社に感謝しています。そういう会社って少ないんですよ。長距離や駅伝には力を入れている会社はあるんですけど、それも下り坂になったらすぐ廃部してしまうというのが実態だと思います。その中で30年続けていただいてるというのは、すごいことだと思います。そこには、大迫忍さんの「見返りは求めないから好きなようにやれ、やりたいだけやれ」そういったメッセージがあったのかなと思います。
あと個人的な考えを言わせていただくと、選手には、陸上だけじゃなくて、半日会社で仕事するとかもいいんじゃないかな。自分が現役時代の時も思ってましたが、半日仕事して半日練習するぐらいのサイクルの方が、精神的にも安定して良いのかなと。だからこそメリハリがつくというか。企業の陸上競技部って、そうあっても良いのかなと。

窪田:

たぶん野沢さんの意見も、ある意味正しいと思うし、私は真逆の意見ですが、何が正しいとかはないと思います。種目にも考え方にもよると思いますので。

安西:

競技に対しての姿勢だとか、得られている結果だとか、そういうものに対しては、まったく口の挟みようがないというか。本当に真剣に頑張ってくれていて、引き続きこれまで通りやってくれれば良いのかなと思っています。
先輩方の話にもあったけど、ゼンリンの陸上部で陸上をやっているということに関して、本業の地図とは直接的な関係がないにも関わらず30年も応援してくれている。そこの意味っていうのが、やっているうちはもしかしたら分からないかもしれないけど、そういうものを少しでも感じながら、ゼンリンの社員として、ゼンリンの陸上部員として、活動しているということをちょっと意識して。社員の方々が陸上部員の活躍をすごく楽しみにして応援してくださっているので、積極的にそういう人たちとの繋がりを求めていってくれると嬉しいなと思いますね。

窪田:

選手って、年を重ねるごとに、引退後のことを考えるようになるんですよね。その時点でもう「引退」なんだけど。でも最後の最後まで引退後のことは心配しなくて良い、というのが、私からのメッセージ。
引退して30歳から仕事しても、全然追いつこうと思えば追いつけるし、自分次第でどうにでもなるって思うので。今はトレーニングに全力で取り組んでほしいなと思いますね。

<プロフィール>

野沢 具隆

1990年入部。種目は砲丸投と円盤投。砲丸投で日本選手権4連覇(95~98年)、1996年に当時の日本記録を更新(17m91)。2000年に引退。現在は自治体関連の営業に携わる。

松井 仁

1991年入部。種目はやり投。1993年に引退した後は、住宅地図関連の営業で活躍。営業所長や支社長を経て、現在は関連会社の取締役営業本部長を務める。

安西 啓

1994年入部。種目は三段跳。1994年広島アジア大会では8位入賞。1999年に引退。GISやITS営業を経て、現在は高精度地図データの企画整備に携わる。

窪田 慎

1995年入部。種目は短距離。1998年バンコクアジア大会で4×100mリレーに出場し、金メダルを獲得。2001年に引退した後は、ITS部門でナビデータの営業等に携わる。

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