2017/02/23時点の情報です。
寒い日々が続きます。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
寒いと引きこもりがちですか、そんなときは想像の世界へお出かけしましょう。今月は、空想地図(実在しない都市の地図)の制作の裏側をお届けします。
自動車がない時代の道
今や道路は、車が通るための設備と言っても過言ではありませんが、それは長い「道」の歴史の中でごく最近のことです。江戸時代以前の道は、都や城下町を除いて、直線的な道はほとんどなく、平野でも曲がった道が多くあります。まさに「人々が歩いたところが、道になった」といったところでしょう。今でいう片道1車線もない、細い道がほとんどです。
近世から近代へ
近代になってからは、自動車が通るようになります。戦前から高度成長前にかけての、自動車が通り始めてから普及するまでにできた幹線道路は、片道1車線の道が多く、近世までの道に比べるとより直線的になっています。こちらの空想地図では、近世までにできた道を水色、近代にできた幹線道路を黄色で塗りました。新しい道とはいえ「旧登州街道」と書いてありますが、これはその後、さらに新しい道ができたことによって、この道が旧道となったためです。このように、何度かルートが変わることは、日本でも多々あります。
高度成長を経て自動車が普及
自動車が普及してからは、都市部の幹線道路は渋滞がネックとなってきました。片道1車線では足りなくなったのです。渋滞解消のため、道路を拡幅する例と、より自動車が通りやすいルートに変わる例とあります。この空想地図は、高度経済成長を経て渋滞が深刻化した道路を黄色、それ以降、近年できた新道を緑色で塗っています。近年の幹線道路は、道幅が広いだけでなく、緩いカーブが等間隔に続き、車の走りやすさを叶えつつ、速度も適度に抑えられる道路が一般的です。こうした幹線道路は、1970年代から今もなお、作られています。
新しい道は迂回することが多い
道路を拡幅したい場合、周囲に建物がない場合は容易ですが、建物が密集している場合は難易度が上がります。特に市街地を通る場合は、市街地を避けて新しい道が作られます。都市周縁に広がるバイパスはその典型例ですが、この空想地図のように短い区間を迂回する場合もあります。仲町通から荒蓋東口商店街に至るまでが旧道ですが、車が通る前からの街道や主要道路は、人の往来が多く、商店街として残っている例が日本にも多々あります。
次回4月号では、ゴールデンウィーク前ということで、お出かけ情報をお届けします。お楽しみに!
地理人(今和泉 隆行)
1985年鹿児島市生まれ。7歳のときに道路地図やバス路線図を書き始める。
1997年に実在しない「中村市」の都市地図の原形を書き始め、現在も改正中。
主な著者「みんなの空想地図」白水社